2話「“無能”のはずの令嬢、恐れられ始める」

 制御室の障壁が復旧して数時間。

 私は砦の簡素な個室に案内され、わずかな荷物を置いたところだった。

 木製のベッドと机、そして窓のない石の壁。贅沢とは無縁の生活空間だけれど、不思議と心地よかった。

 (静かで……無駄がない。こういう場所のほうが集中できるわ)

 王都の宮廷では、シルクのドレスを着て笑顔を貼りつけ、何の意味もないお茶会に出ていた。
 今の方が、よほど“自分らしい”。

 翌朝、私は食堂で不思議な空気に包まれた。

 ――視線。

 兵士たちが、遠巻きにこちらを見てひそひそ話している。

 「昨日の障壁、あの子が直したって……」「でも王都で“無能”だったらしいぞ?」

 「いや、あの術式……普通の魔導士じゃ理解すら無理だ。俺、あのタイプ見たことない」

 昨日の出来事が、すでに砦中に広まっていたようだった。

 無理もない。制御装置の再起動に使った術式は、千年前の古代魔術の一種だ。
 今の魔導士教育では、まず教わらない。

 私はパンをかじりながら、ちらりと隣の席を見る。

 ――カイラス司令官が座っていた。

 ……この人、本当に砦の司令官?

 軍服姿のままパンを片手に読み物をしているその姿は、完全に「寝起きのお兄さん」だった。

 とはいえ、昨夜の彼の言葉は忘れていない。

 『……やるじゃないか、“無能”令嬢』

 あれは――ほんの少しだけ、敬意が混じっていた。

 「お前、今日から第二魔道障壁の維持班に入れ。お前がいれば多少マシになる」

 カイラスはパンを食べながら、私にそう言った。

 「承知しました。ですが……“多少”ではなく、“完全”に安定させてみせます」

 「……ほう?」

 彼の目が一瞬だけこちらを見た。口元が、ほんの少しだけ緩んでいた……気がする。

 「言ったな。なら期待しておこう、“最弱”令嬢殿」

 「そろそろ、その呼び方は似合わないと思うんですけど?」

 「結果を出せば、考えてやる」

 ……意外と、こういうやり取りも悪くないかもしれない。

 だがその午後、私は再び異常な魔力の気配を感じることになる。

 (……これは、何?)

 砦の北方から、得体の知れない魔力の波が押し寄せてきた。

 しかも、通常の魔獣とはまるで異なる“構造”をしている。

 (これは……魔導生物……? まさか、こんな辺境に)

 そして私はまだ知らなかった。
 その魔物こそが――王都の“誰か”が、私を試すために差し向けたモノであることを。

午後三時過ぎ、砦の北方監視塔から緊急の警報が鳴り響いた。

 「警戒区域に未知の魔獣接近! 形状不明、複数反応あり!」

 作戦室に兵士たちの声が飛び交い、現場は一気に緊張に包まれた。

 私はすぐに制御室から飛び出し、展望塔の最上部へ向かう。

 見下ろす先、灰色の荒野に奇妙な“影”が見えた。

 ――人型。だが、皮膚も肉もなく、全身が黒い魔素で構成されている。

 (……あれは、魔導生物……!)

 通常の魔獣とは違う。それは、古代魔術によって人工的に生み出された“生きた呪い”だった。

 「距離、残り二百! 障壁が……また不安定に!」

 第二魔道障壁の術式が揺らぎ、魔力の波がざわついた。

 (間に合わない。あの障壁じゃ、侵入を防げない……)

 私は判断した。――外に出るしかない。

 「どこへ行く!」

 背後から、鋭い声が飛んだ。振り返ると、カイラス司令官が睨みつけていた。

 「障壁の修復に向かいます。外部から直接、核へ魔力を注ぎます」

 「それは自殺行為だ」

 「でも、誰かがやらなければ、砦は突破されます」

 一瞬の沈黙。そしてカイラスは短く吐き捨てた。

 「……死ぬな」

 「ええ。死にません。――私は“無能”じゃないので」

 魔導障壁の外は、魔素が濃く、空気そのものが重たい。

 私は指先で魔法陣を描き、中心に古代語を紡ぐ。

 「《制律開放――古式魔術、第六封、律動変換》」

 瞬間、地面から金の光が奔り、空間を走る魔力の構成が変化する。

 ――重力、空間、速度。すべてが私の“言葉”によって律せられた。

 「接触確認! 敵、突入態勢に入ります!」

 魔導生物がこちらへ跳躍した。

 「《結界展開・式ノ三:封呪陣》!」

 私の足元から展開された結界が、魔物の身体を縛り上げる。

 黒い魔素が火花を散らし、断末魔のような叫びを上げて崩れ落ちた。

 ――一撃。

 「な……何だ、今の魔法……?」

 遠巻きに見ていた兵士たちが唖然とする。

 「砦の術士じゃ、あんな制御……絶対できないぞ……」

 「彼女、本当に王都じゃ“無能”だったのか……?」

 私は息を整えながら、背後を振り返った。

 砦の壁の上、カイラスがじっとこちらを見ていた。
 その視線に、初めて「恐れ」と「敬意」が混じっているのを、私は感じた。

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